日本国憲法九条をめぐる黙想

原田 博充

    憲法9条成立の背景については、占領軍による押し付け憲法だとか、単なる押し付けではなく、敗戦時の日本国民の中にこのような憲法を希望し、受容する指導的人物や考えがあったのだとか、多様な意見があり、それぞれに論拠があろう。しかし大切なことは、この憲法人類史上最大規模の第二次世界大戦の最終局面、歴史上最初の原爆を投下されて敗北した日本で、戦争終結から米ソ冷戦の激化、朝鮮戦争の勃発に至るわずか数年の歴史の狭間に、現実国家の最高法規としての成文憲法に歴史上始めて完全な戦争放棄、戦力を保持せず、国の交戦権を認めない憲法として登場したことである。ここには歴史における神の摂理の発現、人類史上の新しい希望の局面の開限があるのではなかろうか。人類の歴史の発展段階において、火を使い始めたとか、鉄砲を使って戦争をし始めたとか、飛躍的な変化の時が幾度かあった。原子爆弾の出現は、まさにそういう戦争方法の激変である。原爆は絶滅兵器であって、これを使って全面戦争をすれば、人類は絶滅する。この事は、もはや人間は、戦争をしてはならない、存続しようと思うなら戦争はできない、という質的に新たな歴史の局面に入ったことを意味する。湯川秀樹先生たちがパグウォッシュ会議(1957〜)に結集して核兵器の廃絶を訴えられたのは、科学者の直観で、この事を予感されたからであろう。このように考えてくると、憲法九条は、単に日本の平和のためだけでなく、世界の平和、地球、人類全ての将来のために与えられた希望の言葉である。

    昔の日本では、各地に群雄割拠して、戦争をした。しかし今では都道府県入り乱れての戦争は考えられない。世界では、まだまだ部族間の戦争もあるが、今日主な戦争は国家間の戦争である。しかし、ここまで交通・通信などの技術が発達してグローバルな世界になり、今後ますます発達すれば、国と国との戦争も段々無意味になってくるであろう。テレビのスイッチをつければ、西洋人も東洋人も、アラブの人々もアフリカの人々も、どこでどんな顔をして、どんな風に生活しているか即時にわかるようになり、もうお互い殺しあう戦争をする気もなくなるであろう。

    昔から様々な民族が、それぞれ点から賜わった得意分野で人類史に貢献してきた。ギリシャ人は哲学、ローマ人は法律、ドイツ人は哲学や音楽、ユダヤ人は聖書の宗教・・・といった具合である。日本及び日本人は人類史の将来に向けて何か貢献出来る役割・使命があるだろうか。日本国憲法の平和主義がある。これを自ら実行し、この憲法を世界の隅々まで広めるならば、これは人類の将来に向けての大いなる貢献となるであろう。

    近い将来、改憲を問う国民投票の日が来るかもしれない。九条を守る側は、これに勝つことが出来るか。私は、大学で学生に語り、平和についての数多くのレポートを読んだ感触から、困難ではあるが勝利の希望はある、と感じている。そしてその時こそ日本民主主義の真の夜明けとなろう。改憲勢力に抗い、望みを失わず、憲法九条の尊い人類的重要性をねばり強く訴え続けよう。この国が世界に平和をつくり出す国となれるように、私たちも「平和をつくり出す人」(マタイ五・9、口語訳)として働こう。